2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

断食の最初の変化味わいたいなら30時間位でいい気がする

まだ普通に続けられそうな気もしたが今回は66時間程でやめた。呼吸が苦しい、甲状腺付近の違和感等のどう考えても鉄分やヨウ素の不足が原因の問題が出たのもあるが、昨日飲んだ味噌汁の旨さは理屈ばかりの自分でも束の間だが味に集中できる体験が出来たので。普段なら「どうせ死ぬのに何で食うんだろう」「直接手は下していないけどこの肉は僕が選択したからこの場にあるんだな」とかずっと頭に浮かぶので無心で味噌汁を飲めたのは凄い。本当にバカらしいけどずっとこの調子で自分の一挙一動に対して「なぜそのような事をしているのか?」が浮かんでそれに対して答えていくと必ず「何故生きているのか」「何故無では無く有なのか」に行きついて虚無感で体から力が抜ける。この文章書く事自体も、台所で水飲むときも、スーパーでお菓子を買った時もずーっとこんな調子だから、無限ループのプログラムみたいにずっと脳内処理が行われてどんどんそれ以外の実行速度が遅くなる。

話を戻すと、断食24時間あたりで何か体にスイッチが入った感覚が出て来たのでそれの体験をするなら30時間くらいで切り上げるのが最も健康被害は少なそうだ。こんな事を書いたけど、キリストや釈迦も含めて宗教では色んな人が断食を経験してるので何らかの精神効果はあるのだろうから次は72時間超えを試そうと思います。正直、食事の面倒さや消化のダルさが無かったのは楽だったし、何だかヴィーガンみたいだけど出生と死と言う多大な苦痛を受けた挙句に食べるのが僕みたいなこじらせた変な奴と言うのも動物がかわいそうだ。

光合成だけして生きていられればどんなに良いだろうとずっと思っている。そうすれば僕は働く(ここでは賃金労働)事もせずに趣味の散歩や読書だけで一生を過ごせる。食っていけないかもしれないと言う不安、社会は大変だと言う不安さえ解消されれば、昔みたいに近所のゴミ拾いでもしたい。

断食辞めた14日の昼以降にお粥、アイス等で計800Kcal、15日はソーセージ、オートミール等で1200kcal、今日は朝に人参を半分齧っただけだからまだ50kcal位だ。このまま断食に戻るかどうするかは決めてないけど1日1食になら移行できそう。

断食が2日経過した

2日目は朝から気分が良く、高校生の時までのように集中力があり、図書館で借りた適当な新書1冊、手元にあるオーウェルの「パリロンドン放浪記」を読んだ。これは驚異的なことで簡単な本とは言え1日に2冊も読むなんて5年ぶり位ではないだろうか。14時くらいまではこの調子だったがそこから熱っぽさ、間接痛、なんとも言えない全身の違和感が出てきた。水と塩と味噌汁で過ごすと言ったが正直味噌汁は抜きで行けるだろうと思っていたところにこの症状が来た。昔、栄養学で勉強した内容が色々浮かんできて不安になったので断食から48時間経った頃に赤味噌を大さじ1杯入れた味噌汁を作って飲んだらとにかく味も香りも素晴らしく感動した(この感動を断食に求めていた)。これを飲んだところプラシーボ効果も大きいだろうがこれらの症状が急に収まったので明日からは夜に1杯飲むようにしようと思っている。水と塩だけだと精々ミネラル分は2%位が限界だが、味噌を大さじ1杯加えれば7%位まで到達するだろう(計算はしてないけど)。僅か1,2g位だろうがタンパク質や炭水化物も含まれてるので頭痛なども起こりにくいと思う。

現代のように食料事情が良くない時代は何日も食事抜きで水しか飲めない事もあっただろうが、それでも何かの葉や根はかじっていただろうし、具無し味噌汁ならこの時の感覚に近づけるかもしれない。最近の若者は軟弱だと言われるし確かに僕も含めて打たれ弱い人はすごく多い。上述した「パリロンドン放浪記」は断食するなら久々に読んでみようと思い読んだのだが、食事を毎日食べれず、長時間労働や罵声を浴び続ける生活なのに何故か現代人よりずっと楽しそうだし文章からパワーが伝わってくる(彼の描写が上手くて3割増しで良く見えてるのもあるだろうが)。やっぱり頭ばかり使わずに肉体を中心として活動した方が心身が一体化するのかもしれない。

何となく断食をする

何となく断食を始めた。11日の17時に豆腐を1丁食べてからは水と塩しかとってないので大体丸一日経過した。

僕がとにかく無気力で怠惰なのは今までに何か挑戦したり物理的・感情的に揺さぶられるような事が無かったからというのも大きな原因の1つだと思ってる。だから理屈の方ばかり肥大してバランスが悪くなり浮世離れが加速していく。誉められたこともなければ、怒られたことなんか1,2回有るか無いかくらいだと思うし、我を忘れてスポーツに熱中するとか怒りに震えて大声を出したり誰かを殴ったこともない。親からは何でもやりなさいとか学校で何かあったら言いなさいとかは言われてたけど、自分で何かやると機嫌が悪くなり無視されるし、虐められてることを言っても私の人生の大変さに比べたらそんなの苦労のうちに入らないとか言われたし、親も親で口だけ人間で何か自発的に行動もせずひたすら弱い自分を守るためにあらゆる事を駆使してこれ以上自分の価値が落ちないように生きてきたんだろうなあと思う。

これが何で断食の話になるんだと思うでしょうが、冷水シャワーの話でもしたように自分が自分であるという感覚が希薄なので肉体そのものに衝撃を与えれば少しはまともになるかと思ったからです。僕に限ったことではないですが各年代でしておくべき事をしそびれると後から同じことはできないし、それをしそびれてその段階で止まった幼稚なやつは相手にされないのでさらに経験を積むことができないのが世の常です。僕は中高生くらいの実存の問題で止まっているので物理的な衝撃や揺さぶりでこの世は理屈ばかりじゃないぞ、いい加減自分も理屈を一旦捨てる段階になれよと自分に分からせたいのですが経験不足で更に2留もしてる変な奴には遥かに進んでる他の学生たちとまともに関われないので、他者との関わりによる理屈の突破ではなく原始的な痛みや違和感による理屈の突破しかありません。

 

ryunen-daigakusei.hatenablog.jp

昔はまだゲームをしようとかマックにでも行ってハンバーガーを腹一杯食べようとか最低限の活動力はありましたが今は何もありません。うっかりコップを洗い忘れてたら飲み物は飲まないし、バスが目の前で行ったら家に帰ります、髪も2.5ヶ月切ってないのでボサボサで眉毛も長さを揃えてないので小汚い印象です。

うつ病みたいに思うかもしれませんが、うつ病の人は病気により本来の活動力が失われた状態ですが、自分は今までなにもしてこなかったから本来の活動力がそもそもスカスカなのでいくら薬を飲もうが何しようが部屋でボーッとしてると思います。

話がそれたので断食に戻すと、塩と水と具無し味噌汁だけで実行します。去年・一昨年の学校を休みがちの時期も1,2日ジュースだけ位なら何度もあったので条件はキツめに。細胞は僕と違って働き者だしオートファジーとか糖新生とかで頑張ってくれるでしょう。貯蓄グリコーゲンはどれくらいなのかは分かりませんが体の感覚が変化したら貯蓄切れだと思います。塩は5g位を目安、一応は天然塩で気休め程度だけどミネラルが入ってるしミネラルウォーターと合わせて摂取目安の2パーセント位は取れるだろうと期待してます。ナトリウムポンプを考えると味噌に含まれるカリウムがあれば少しはホメオスタシスの機能は働くでしょう。心配なのがpHが酸性になるアシドーシスですが重曹でも舐めようかと思ってます。重曹アルカリ性だからという安易な理由ですが経口摂取での効果は正直怪しいので気休めに。

期間は特に考えてません。最低でもこの3連休はやる予定です。

形而上学に囚われたふりをしたりニヒリストを気取って何もしない人

僕の事ですね

と言っても僕は留年生なのでいかにもな感じがしますが、どこかの会社に勤める事は出来ていても漠然と"存在そのものへの不安を抱えているふり"をしている人は1人,2人ではなく数%はいると思います。僕の今までの記事を見れば分かりますがこの手の人は10代でとっくに解決するべき実存の問題を解消しきれないままにズルズルと引きずってしまい、丸っきり自分が無く空っぽで生活しているか、言葉によって解決しようと哲学書に手を出して自分の何も無さに向き合うまでの時間稼ぎをしつつ自己正当化しようと試みたりします。

正直な所これは図星中の図星なのでこのように文章化すると僕の矮小な心がますます捻くれる(これもふり)のですが、僕に限らず悟った風な口を利く人が特にネット上では増えてるような気がするので書いておきました。人は素ではそこらの動物と同じで野生状態なので、これを克服し、自らの選択によって生じた出来事や人や物との接触により初めて理屈では突破不能の実存の課題をクリアして、僕の勝手なイメージですが肉体が先にこの世に存在する所に魂が注入されて心身が一致して生き生きとするのです。この魂の注入作業が無いのが僕のような形而上学に囚われたふりをしているどうしようもない人間で、ゾンビのように肉体だけが勝手に動いていて虚無感の中に生活する羽目になります。

ショーペンハウアーとか特にシオランなんて少し前までは全然聞かない存在だったのに、掲示板を見てると名前を見る機会が増えているし、反出生主義(にかこつけて自分の人生の失敗を子供を産む人を叩く事で解消する)が妙に広がっている。

そもそもの自分という物の始まりは母親と父親という存在同士の関係性であるわけだし、自分は自分の内に籠らないで外部の人との触れ合いをしている間だけ人間になれる。「1人で何が悪いの?」みたいな風潮もありますが末路は上に書いたような人間になるか、孤立した個人に耐えられず強い存在(国そのもの、宗教指導者、DV男等)にハマる事もあります。

 

中島敦の狼疾記はまんまこういう人間の話です。人によっては気分が悪くなる(ふり)かもしれませんがリンクを貼っておきます。

www.aozora.gr.jp

2留した大学生の現在の生活について(6月まで)

2留大学生の考えている事とかいうブログタイトルなのに留年について全然書いて無い事に気が付いた。でも、これって凄く当然と言えば当然なのだが留年生と言う存在だって常に自分の現状を意識してるわけではない。「僕は高校2年生だ」「俺は○○という会社で働いてる」とか毎日意識してる人はいないのと同じだ。たまに書いてる怪文書の他にもどんな生活サイクルで動いてるとか今何やってるか位は書いておこうと思った。

早起きを始めた

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3時起きするには21時頃に寝ないといけないがさすがに厳しい事が多いので今は22時頃に寝て4時半に起きるようにしてる。この生活を始めて思ったのは去年もこれをやっていれば去年の間に卒業できた可能性があった事だ。人込みがあるとそこから感じるオーラや気迫みたいなのに圧倒されて力が抜けたり眩暈がしてくるので、誰もいない間から学校に行き授業時間までは研究室で休憩し、研究室にも人が増えてきたら誰も来ないバルコニーでボーっとしている。人込みが無理ならすぐに思いつきそうな作戦なのに去年は欠片もこれが思いつかず、活気に溢れた他の学生を見て恐ろしくなりUターンしたり、学校の敷地内に入れず周辺を延々と徘徊したりと惨めな事をやっていた。正直、この時の事はほとんど思い出せない。思った事は紙とかノートに書く癖があるので当時のノートを見たら追憶できそうな気もするが話が散らかり過ぎて今の自分でもよく分からなかった(ホラー映画の小道具にでも使えそうな支離滅裂な怪文書です)。

カフェインを辞めた

僕は中学生の頃からコーヒーが好きで毎日のように飲んでいた。しかし、異常な緊張や発汗、寝る時間の不安定さの要因を探っていくとカフェインしかないと今年の5月初めにようやく気付きました。当たり前だろと思うかもしれませんが僕にとってカフェイン摂取は歯磨きよりも日常に入り込みすぎて意識の外にあったのです。大学に入ってからは毎日のようにコーラとかエナジードリンクも飲んでいたし、僕が1日3杯飲むコーヒーは大きめマグカップにコーヒーをドリップして最後にインスタントコーヒーの粉をスプーン1杯加える超苦くて濃いコーヒーなのです。これらを辞める為にデカフェコーヒーで一ヶ月クッションを挟み、6月からは完全にカフェインは辞めました。上記の症状以外にも、血管がカーッと開くような感覚や徹夜した日みたいに目はさえてるけど思考がまとまらないみたいな感覚も度々ありましたが全部無くなりました。これらの症状は空気中や布団に存在する雑菌が免疫系に異常を来たした時には凶悪な症状をもたらすのと同じで、平時だと大して問題ではありませんがメンタルがおかしい時にはこれらの症状が追い打ちをかけていたのは間違いありません。

1つ既に履修放棄した

これは完全な失敗で早起きして人込みを回避するを履修登録の段階で思いついていればこうならなかったはずです。この授業は夕方からなのですが当然その時間はキャンパスも校舎内もそこら辺の道路も学生だらけだし、僕のアパート前を通ってどこかに出かける学生集団も大勢います。授業が始まるから出かけようとしても玄関の前でマゴマゴしてる間に授業が始まり、10分、20分と過ぎてから今日はもうダメだと諦める、を繰り返して既にテストを受けられない回数休んでしまいました。残りの授業は朝最初の時間なので誰もいない研究室待機→人が少ない廊下を移動→無心で黒板やプリントを眺める→少し人が増えて来た廊下を移動し人気の少ない出入り口から大学外に出て帰宅のパターンでほぼ授業は休んでいません。

 

めぼしい事はこれ位だと思います。もしかしたら独自の行動とかやっているのかもしれませんが、それは第三者から見てそう思うわけで、僕からしたら普通の行動なので僕が僕の主観で書くブログでは結局これ位しか書けなかったと言う事です。でも、早起き、カフェイン抜き、履修放棄を書こうと僕が思ったのって凄く"普通"に感じませんか?別に留年してない大学生だって書きそうなことですからね。留年生、しかも2年も留年しているからと言ってそこらの人と明らかに思考回路が違う奴とは限らず案外まともな部分もあると言う事です。

七曜制とか太陽暦に違和感がある

 

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大体こういう感想って1週間、2週間、3週間、一か月で書くんだろうけどまずこの1週間って制度は七曜制に基づいている。区切りが良いとか言うけど区切りが良いのはそれに合わせた社会システムが構築されてるからで一度引きこもり生活をするとこの制度に疑問と言うか漠然と"これは何なんだ?"と違和感が出てきた。曜日制度自体は紀元前からあるらしく世界中どこでも太陽とか月を基準として7辺りで曜日の数が決まり、後はキリスト教で出てくる6日で世界が作られ7日目で休んだの話とかも合わさり世界中が七曜制で収まったが今の状態らしい。1年が365日とか言うのも地球が太陽を1周するのが365日なのでこれを基準に1年と決めている。

どうやらフランス革命歴(十曜制)とかソビエト連邦歴(五曜制)が採用されていた事もあったそうだが七曜制に慣れていたので反発があったらしい。ソビエト連邦歴を見ると7日に1回の休みだったのが、5日に1回の休みになったので休日はむしろ増えている。それでも批判があったのが機械の稼働率や故障率も当然大きな要素ではあっただろうが、恐らくは「赤曜日だから…今日は日曜日か。七曜制なら日曜日で休みだったのになあ」みたいに、その場その場の視点で考えた時の不満もあったと思う。これに近い体験として、自分が高校生の頃のスキー授業は数クラスごとに1日ずらしで実施していたが、自分たちも明日にはスキー授業があるのに今日行った隣のクラスに対して「羨ましいなあ」と言う人がとても多かったのだがこの感覚だ。

フランス革命とかソ連の時代とは違うので五曜制や十曜制もそうだし、馬鹿な想像だが日~土曜日と言う名前を取っ払って数字だけにして、7日ごとに1段ずらす記載方法では無く1日~30日までを並べた横長のカレンダーを1年くらい義務付けたらこれだけ働き方が多様化してるのだから「7って中途半端だったな」「5や10が区切りいいな」「曜日ってなんだったんだ?」と言う声も増えるような気がする。

「人間とは何か」という問いに対する1つの回答として「自然を克服する事」みたいなのがある。農耕は明らかに自然的ではないしビルや自動車も自然では無い。24時間電気により人やモノが動いてる世界にまでなったのに、時間を決める単位である曜日は未だに太陽に則ってるのは面白い。

朝3時起き生活を大体10日間位やってみた感想

頭が動かなくて文字が読めなくなったり人が多い所に行った時の圧倒されるような感覚や眩暈、モヤモヤ感がまたぶり返してきた。去年も一昨年もこれの延長で引きこもりがスタートしたので注意したい。プロット等無く誤字脱字の訂正以外は全く手直しがない適当に書き殴るスタイルでブログを書いているがそれでもこのモヤモヤ状態だとどうしても書けないのでしばらくサボっていた。

 

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朝3時起き生活としつつも学校が遅くまであって寝る時間が遅くなったりとかで4時や5時に起きる事も何回かありましたが、あくまで目的は「朝3時に起きる事」ではなく「普段より圧倒的に早く起きる事で怠け者の自分でも普段サボりがちな事を少しでもこなせるようにする」なのでこの事自体は気にする事無いと思ってます。

結論から言うと早起き自体は苦痛でない怠け者の方は凄くオススメです。

 

ちょっと僕の想像も入ってますが昔は普通に勉強出来ていたり掃除もキッチリ出来ていたのにここ数年全然出来なくなって今では自他ともに認める怠け者タイプの人って根本はある程度まともだと思ってます。単にその数年間の環境が影響して後天的に怠け属性がついてしまっただけで環境が変わればまた普通の生活を送れる方も多いと思います。ですが、僕もそうですが簡単に学校を辞めたり転学部したり、サラリーマンの方も容易に転職等は出来ないのが実情です。じゃあどうやって環境を変えるか?それが早起きです。

まず環境とは哲学的な事が入るとややこしくなるので現実的な事だけ書けば時間による物質の変遷(私自身も含む)が私に影響を与えうるものだと思います。物質とは鉛筆とか酢酸トコフェロール、ひいてはカラス、上司、芸能人等、窒素だのリンだのとにかく原子で構成されている全てを指します。それが時間と言うものにより原子の運動と言う変遷が進みこれが私に影響を与えるわけです。寝ている間は私も私を取り巻く環境も時間が無く知覚できないので問題は起きている時間です。環境が時間と物質で初めて成り立つなら物質(今いる職場、使っているPC、同僚や上司)は変えられなくても時間を変えてやれば環境は変わるわけです。当然仕事なり学校といった物質は変わらずその時の時間も変わりませんが、3時起きをすればこれらの時間の前に相当な時間が出来るし、まだ気力がある間にその時間と任意の物質に囲まれることで有利な環境が構築出来るわけです。仮に18時間起きているとするならば早起きによりその起きている時間帯を変えてやれば相当環境が変わるわけです。

 

怪文書になってきたので普通の話に戻すと、朝3時に起きると当然ほとんどの人は寝てる訳なので外に出てもとにかく静か、研究室に行っても稀にしか人がいない。冒頭でも書いてますが人がいると頭が動かなくなるのでこの事は非常に良かったです。大学1,2年生の時は夜の1時位に深夜徘徊を数えきれないほどしていましたが「明日も早いのに何やってんだ」「寝たら明日が来る」「でも誰もいないこの空間は凄く気分が楽になる」と色々と複雑に気持ちが混ざり合っていて何度もやめようとしましたが結局ズルズルと続けてましたね。今回は既に寝た後なので「寝たら明日が来る」の「明日」はもう来てるのである種の覚悟があるし、「明日も早い」はこの時間で学校にいる時点でクリア、「誰もいない空間」もクリアと同じような事をしてるのに凄く爽やかです。

残念ながら今は難しい文章が頭に全然入ってこない状態なので勉強はあまりしてませんが実験を早々に始める事で丁度他の人達がやってくる時間(大体10時位)にはやるべき事は大体終わらせられるので午後からは大分気持ちが楽になり家に帰ったりスーパーに行ったりと開放感があります。実験の性質上待ち時間が多いのですが、誰もいないので分野と全然関係ない本を読んで頭のリハビリをしたりストレッチをしたりと自由に振る舞えるので、昼間の時と違って監視されてる感や複数人と狭い空間を共有してる時の圧倒される感覚や眩暈が無いのは本当に助かりますね。

今の頭モヤモヤ感は周期的な物だと最近気づいてきたしこれだけ長文かけるなら大分良くなって来たでしょう。リハビリの時はエミールシオランの「生誕の災厄」、ウマルハイヤームの「ルバイヤート」等のアフォリズムや詩から始めますが、今日はショーペンハウアーの「幸福について」を少し読めました。これが読めれば多少の読解力は戻ってきてる証拠なので(記憶力は1回目の引きこもり以来戻ってきませんが)そろそろ期末テストの勉強でもしようと思います。本当は3年の後期までに研究室の単位以外は全て取るつもりでしたが3年の前期から休みがちになったので数科目ですが自由単位が今でも余ってる始末です。意外に思うでしょうがこの時までは他の同級生と同じく取れる単位はほとんど1発で取っていたんですよ。何でこうなったかは単に社会に出る事の恐怖とか実存の不安とか色々あるのでしょうが引きこもり経験以来自分の感情部分と顕在意識のリンクが切断されてるようなのでよく分かりません。よく分からないのでとにかく卒業だけはしようと思いますがだから何だよ、俺は最後は死ぬんだが無限に頭の中を反復して気力を根こそぎ奪っていく。いったん置いといて、が出来ないから回答不能(そもそも問自体が出来ないと言う説もあるけど)の問題にループにハマったプログラムみたいに延々と頭が動いてフリーズしかかってる。こういうのを自力で止められないのはこの世界への没頭(パスカルでいう所の気晴らし)が上手く出来ていないわけで。一番簡単な没頭は肉体中心の没頭が楽で、特に刺激が強いのは肉体の危機であるわけだから真冬に冷水シャワーを突然浴びる事だ。だから早く冬になって欲しいですね。

 

また最後は怪文書になってしまいました。でも、普段の思考ってアッチ行ったりコッチ行ったりするのが普通だと思うしそれをそのまま文章化する事が、人に見せる為に綺麗に整った文章よりはその人そのものを表せると思うのでやはりこの書き方は僕にあっています。