2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

引きこもりの感情喪失

僕は1回目の4年生の時に約4ヶ月、2回目の4年生の時は5月から不登校になったので合計すると1年以上は引きこもりとして生活しました。

引きこもりは「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」が厚生労働省が定める定義です。その為、僕も間違いなく引きこもりでした。この定義や有名なニートの「働いたら負けかなと思ってる」のような言葉、ネット掲示板での横暴な振る舞い(そういう方もいるでしょうが僕はネタとして誰かが自作自演したり、引きこもりやニートに対するステレオタイプを植え付けようとしてるように思います。ステレオタイプについてはいつか書きます)だけ見ると毎日ゲームやってお菓子食べる優雅な生活を送ってるように思えますね。しかし、引きこもり当事者のブログや支援団体のホームページを眺めると実際は引きこもりをエンジョイしてる方は少ないと思います。

僕の場合は時計の音が自分を責めてるように感じて電池を外したり、お隣さんが私を馬鹿にしてるように感じてカーテンを閉めていた時期もあります。自分の肉体がある事に更に不思議さが出てきたり、布団や電気ストーブも僕の一部のように思ったり、肉体に凝集していた意識が薄く拡散して部屋一杯に広がってるような気もしました。こんな状態でしたが気分の良い時に散歩は稀に行っていました。そして、これもいつか書く予定ですが心療内科や精神科には通っていませんでした。

これだけ見ると追い詰められた僕が恐怖や焦りにかられて部屋でビクビクする姿を想像するかもしれませんが、実は全くの反対でケロッとしていたのです。この状態を考察していくと「感情と自分の顕在意識の接続が切断されてる」事に気づきました。だから、本当は感情がパニックを起こしたり喜んだり悲しんだりしてるのに、明瞭に意識できる部分である顕在意識はそれを分かっていません。でも、感情の効果は肉体に伝わっているので、外が危険と判断して僕を引きこもらせたり涙を出させたりする指令を出しているのですが、顕在意識はこの流れを分かってないので何故か外に出れない、突然涙が出て来ると言った不可思議な現象が起きるわけです。

引きこもりだけでなく、普通に会社や学校に行けてたのにある日突然ドアノブが握れない、全力で力を込めてる(つもり)のにドアが押せない。そうして訳分からないうちに上司なり親がやってきて心療内科に連れてかれてあなたは鬱病です、適応障害ですと診断される方も同じことが起きているはずです。どちらも外の"何か"が影響して感情がやられたり、感情と顕在意識の接続切断が起きてこうなったのです。この"何か"は、上司と仲悪いとか虐められてる等の1つの原因に帰するとは言い切れません。ここで芥川龍之介の「或旧友へ送る手記」の一部を引用します。

君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。

(青空文庫 芥川龍之介 或旧友へ送る手記 より引用) 

 これは自殺についてですが、引きこもり状態に至るのも複数の要因が重なり発生すると私は考えています。

 

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