2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

反出生主義とは

前に反出生主義について考えてる事があると最後にチラッと書いていたことを思い出した。

 

ryunen-daigakusei.hatenablog.jp

反出生主義の定義っぽい物を書きますが現段階では各人がそれぞれ好き勝手言ってる状態なので共通している部分だけ書きます。

この世に産まれると確実に幸せになれるとは限らないし、運良く上手くいっていてもそれはずっとは続かないだろうし最後には老いや病に苦しみ死からも逃げられないのに産むとか酷過ぎる

これが定義です。正直言って反出生主義は当然と言えば当然ですが、もはや自分が産まれてる以上は自分の人生についてはどうしようも出来ないですね。反出生主義を自分は信じてるけど、正直一生かけてもこれを緻密な理論に出来るか分からないしそうでなければダメだから消極的な反出生主義だと僕の中では完結してる物です。そしてこれの実践は世界中で同時に武器を捨てれば平和になるとかいう話と同じで個人レベルであれば出来るでしょうが社会レベルだと難しいでしょう。

私が好きな人にシオランショーペンハウアーがいますが僕の中では反出生主義は彼らと似ていて産まれる事自体は嫌になってしまうけどそもそもがこの世の仕様自体が空しいから、産むことを否定する事自体も生きてる上での行為なのでこの否定行為自体も無為である。だけど言う機会あれば一応言っておこうかななんですね。別にどんな状態でも根本が空しいんですよ。集団でガヤガヤ会話してたのに何故か全く同じタイミングで会話が切れてシーンとなり「いや、何今の空気w」となった経験はあると思いますが、あの静まり返った一瞬の困惑とか疑問みたいなのが常に頭にあるんです。旨い物食べて思わずニッコリしても即座に「旨いなあ…でもそれが何なんだ?」と浮かぶし、逆に嫌な事あっても「何でこんな目にあうんだ…でもそれが何なんだ?」となるんです。そしてこの感覚は苦しみと言うよりかは空虚であるのでマイナスの意味は本来はありません。でも、この何かが足りないような感覚は「マイナス0」とでも言うべきで1とか2とか値は無いけど分類するなら0やプラス0では無くマイナスのくくりに入る感じです。

理屈に呑まれ過ぎてるとか懐疑論者の末路とか言われても仕方ないですし自分でも意味が分からず混乱しています。そしてここでも意味という単語を使ってるのでやはり意味に囚われ過ぎてるのでしょう。先に書いたシオランは似たような心境から出てる言葉を彼の著作でたくさん書いているので是非読んでみてください。

だから、ここ1~2年で急に反出生主義を名乗る人が増えてきて声高に色々言ってますが僕にはそんな気力無いです。そして一部ですが自分の人生の失敗を隠す為に反出生主義と言う最強の武器を使って子供を産んだ人・産む予定の人を攻撃してストレス解消してるように見えます。反出生主義の問題点(産まれる前は存在してないからこれを対象として議論は出来るのか、反出生は出生へのアンチテーゼとして出て来た話だが世界は人間で成り立ってるのでそこを根底に置きながら主張するのはズルくないか等々)の重要な弱点を提示した人に「オリジナル宗教の布教するな」「出生派の成り済まし」「インテリの言葉遊び」みたいな酷い言葉を吐きまくる"自称"反出生主義者がいた時はガッカリしました。確かに人生のマイナスは反出生主義に気が付くきっかけにはなりやすいですがそれを感情的に振り回すのは違うかなと思います。反出生主義そのもの自体への信仰もそうですし、死ぬ=無への信仰も多くこの世で確かな物を見つけたと錯覚して信じてる事は新しい神の創造であり、これは散々バカにされてる「子供を産みたいから産んだ。それがダメなの?」と同じ話なんですけどね。(僕も死んだら無になるのでは?と思ってますが何の確証も無いので死んだらどうなるかは保留中なのですがどうもこれが気になる。案外あの世があるかもしれないし永遠にこの世を徘徊するのかもしれないし僕自身が転生したり、色んな人の死んだ意識がリサイクル工場みたいに混ざって溶けて新しく意識が生み出されるのかもしれない)

僕自身考え付く事でも無や死そのものは体感出来る物でないのでこれの恩恵を受ける事はあるのか?転生があったとして無→有→無→…を繰り返すわけだが、例えば数十年昏睡してた人が回復したら一瞬で年寄になっていたけど自覚が無いように、無の期間がどれだけ長くても安寧は有って無いような物では無いか?じゃあ眠りとの違いは?記憶の連続性だとしてそれなら記憶喪失になればいいのか?意識という物があるからこんな話になってるわけだがDNAの塩基配列を総当たりで変異させて意識が無い人間が産まれたら話はどうなるか?コードされた遺伝子から情報をパソコンなどに読み込めるようになったら人工的に一瞬で大量の意識を生成できるのか?仮に全員が出生を辞めても無限に続く宇宙の中で新しく意識を持った生命体が出てくるのでは?もしビッグクランチとかで宇宙が消滅してもまたビッグバンで意識ある生命体がいつか出るんじゃないか?等々ハッキリ言って対象が対象だけに人類の全ての学問が関わってくるんじゃないかと言う位考える事が膨大にあります。このブログを始める前にノートとか昔のスマホメモとかに思いついた文章が書いてましたが頭の中から出力できた物は僅かだし、この文章を見て分かるように非常にカオスになっておりエントロピーは増大傾向にあるのでこれを抑え込むのはやはりエネルギーが別途必要なのでしょう。

 

これからも反出生については考えていきますがこれは自分の人生の指針にはなりえないので膨大なパズルをやるような気持ちで行きたいと思います。かなり先になりますが特に反出生とヴィーガニズムについて書きたいですね。よく一緒に語られてますが案外この2つは対立してるのでは?と思ってます。