2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

朝3時起き生活を大体10日間位やってみた感想

頭が動かなくて文字が読めなくなったり人が多い所に行った時の圧倒されるような感覚や眩暈、モヤモヤ感がまたぶり返してきた。去年も一昨年もこれの延長で引きこもりがスタートしたので注意したい。プロット等無く誤字脱字の訂正以外は全く手直しがない適当に書き殴るスタイルでブログを書いているがそれでもこのモヤモヤ状態だとどうしても書けないのでしばらくサボっていた。

 

ryunen-daigakusei.hatenablog.jp

 

朝3時起き生活としつつも学校が遅くまであって寝る時間が遅くなったりとかで4時や5時に起きる事も何回かありましたが、あくまで目的は「朝3時に起きる事」ではなく「普段より圧倒的に早く起きる事で怠け者の自分でも普段サボりがちな事を少しでもこなせるようにする」なのでこの事自体は気にする事無いと思ってます。

結論から言うと早起き自体は苦痛でない怠け者の方は凄くオススメです。

 

ちょっと僕の想像も入ってますが昔は普通に勉強出来ていたり掃除もキッチリ出来ていたのにここ数年全然出来なくなって今では自他ともに認める怠け者タイプの人って根本はある程度まともだと思ってます。単にその数年間の環境が影響して後天的に怠け属性がついてしまっただけで環境が変わればまた普通の生活を送れる方も多いと思います。ですが、僕もそうですが簡単に学校を辞めたり転学部したり、サラリーマンの方も容易に転職等は出来ないのが実情です。じゃあどうやって環境を変えるか?それが早起きです。

まず環境とは哲学的な事が入るとややこしくなるので現実的な事だけ書けば時間による物質の変遷(私自身も含む)が私に影響を与えうるものだと思います。物質とは鉛筆とか酢酸トコフェロール、ひいてはカラス、上司、芸能人等、窒素だのリンだのとにかく原子で構成されている全てを指します。それが時間と言うものにより原子の運動と言う変遷が進みこれが私に影響を与えるわけです。寝ている間は私も私を取り巻く環境も時間が無く知覚できないので問題は起きている時間です。環境が時間と物質で初めて成り立つなら物質(今いる職場、使っているPC、同僚や上司)は変えられなくても時間を変えてやれば環境は変わるわけです。当然仕事なり学校といった物質は変わらずその時の時間も変わりませんが、3時起きをすればこれらの時間の前に相当な時間が出来るし、まだ気力がある間にその時間と任意の物質に囲まれることで有利な環境が構築出来るわけです。仮に18時間起きているとするならば早起きによりその起きている時間帯を変えてやれば相当環境が変わるわけです。

 

怪文書になってきたので普通の話に戻すと、朝3時に起きると当然ほとんどの人は寝てる訳なので外に出てもとにかく静か、研究室に行っても稀にしか人がいない。冒頭でも書いてますが人がいると頭が動かなくなるのでこの事は非常に良かったです。大学1,2年生の時は夜の1時位に深夜徘徊を数えきれないほどしていましたが「明日も早いのに何やってんだ」「寝たら明日が来る」「でも誰もいないこの空間は凄く気分が楽になる」と色々と複雑に気持ちが混ざり合っていて何度もやめようとしましたが結局ズルズルと続けてましたね。今回は既に寝た後なので「寝たら明日が来る」の「明日」はもう来てるのである種の覚悟があるし、「明日も早い」はこの時間で学校にいる時点でクリア、「誰もいない空間」もクリアと同じような事をしてるのに凄く爽やかです。

残念ながら今は難しい文章が頭に全然入ってこない状態なので勉強はあまりしてませんが実験を早々に始める事で丁度他の人達がやってくる時間(大体10時位)にはやるべき事は大体終わらせられるので午後からは大分気持ちが楽になり家に帰ったりスーパーに行ったりと開放感があります。実験の性質上待ち時間が多いのですが、誰もいないので分野と全然関係ない本を読んで頭のリハビリをしたりストレッチをしたりと自由に振る舞えるので、昼間の時と違って監視されてる感や複数人と狭い空間を共有してる時の圧倒される感覚や眩暈が無いのは本当に助かりますね。

今の頭モヤモヤ感は周期的な物だと最近気づいてきたしこれだけ長文かけるなら大分良くなって来たでしょう。リハビリの時はエミールシオランの「生誕の災厄」、ウマルハイヤームの「ルバイヤート」等のアフォリズムや詩から始めますが、今日はショーペンハウアーの「幸福について」を少し読めました。これが読めれば多少の読解力は戻ってきてる証拠なので(記憶力は1回目の引きこもり以来戻ってきませんが)そろそろ期末テストの勉強でもしようと思います。本当は3年の後期までに研究室の単位以外は全て取るつもりでしたが3年の前期から休みがちになったので数科目ですが自由単位が今でも余ってる始末です。意外に思うでしょうがこの時までは他の同級生と同じく取れる単位はほとんど1発で取っていたんですよ。何でこうなったかは単に社会に出る事の恐怖とか実存の不安とか色々あるのでしょうが引きこもり経験以来自分の感情部分と顕在意識のリンクが切断されてるようなのでよく分かりません。よく分からないのでとにかく卒業だけはしようと思いますがだから何だよ、俺は最後は死ぬんだが無限に頭の中を反復して気力を根こそぎ奪っていく。いったん置いといて、が出来ないから回答不能(そもそも問自体が出来ないと言う説もあるけど)の問題にループにハマったプログラムみたいに延々と頭が動いてフリーズしかかってる。こういうのを自力で止められないのはこの世界への没頭(パスカルでいう所の気晴らし)が上手く出来ていないわけで。一番簡単な没頭は肉体中心の没頭が楽で、特に刺激が強いのは肉体の危機であるわけだから真冬に冷水シャワーを突然浴びる事だ。だから早く冬になって欲しいですね。

 

また最後は怪文書になってしまいました。でも、普段の思考ってアッチ行ったりコッチ行ったりするのが普通だと思うしそれをそのまま文章化する事が、人に見せる為に綺麗に整った文章よりはその人そのものを表せると思うのでやはりこの書き方は僕にあっています。