2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

京アニの放火事件は作品が作品だけに余計辛くて悲しい

事件のパニックからの逃避でどうでもいい記事を先に投稿してしまいましたが、どうしてもこの事件についての記事は今日中に出したいので投稿しておきます。

headlines.yahoo.co.jp

 

亡くなられた方のご冥福をお祈りしてます

怪我をされた方は少しでも早く治療が進みますように

 

今回の放火殺人事件による犠牲者は個人が行った犯行に限っては今までの日本の殺人事件の中でもトップクラスだ。規模が規模だし、恐らくは東京オリンピックで起こりうるテロ対策等にも繋がる事から、この事件はArson attack(放火事件)としてThe Guardian、BBC、CNN、wsj、人民網等で世界中で取り上げられている。

 

犯人からは犯行動機などを一刻も早く聞き出して裁判にかけられるべきだし、何らかの精神疾患があるのでなければ死刑になるのはほぼ間違いないと思う(死刑制度の功罪については今回は書きません)。しかし、先月の引きこもりの事件でも書きましたが、もし犯人の職業や年齢や特徴が出たりしてもそれに属する層自体を敵視して攻撃するのはダメだと思います。犯人が最悪な事をしたのは間違いないですが、その層自体に罪があるわけでも無いし不用意な攻撃は不用意な怒りの爆発を産みかねません(今回は拡大自殺と言うよりはテロに近いとも思いますが)。

 

ryunen-daigakusei.hatenablog.jp

 

 

放火された「京都アニメーション」は「涼宮ハルヒの憂鬱」や「CLANNAD」の制作で有名な業界でも中心となる会社だ。そして、タイトルにも書いたが作品が作品だけに余計につらいのだ。

僕はあまり漫画やアニメは見なかったが当時はゲームが大好きで、中学生の時にCLANNADをプレイしたことが人生の転機でもあり現状にも繋がっている。最後にプレイしたのは9年前なのに一部はセリフを暗唱できる位には印象に残っている。このCLANNADはゲームかアニメを見た事がある方はご存じだろうがざっくり説明すると

岡崎朋也はスポーツ進学で高校に入学するも怪我をして部活を辞めて以来アイデンティティを失い自堕落な生活を送っていた。父子家庭でもあり父親は負い目からか朋也を他人行儀に扱い、そのヘラヘラとした態度に怒りを覚え家にも居場所は無く悪友とつるむ毎日で将来の事など考えていなかった。ある日、病弱で高校を留年しているヒロイン古河渚と偶然出会い、彼女とその両親、同級生達、そして父親とも向き合い、時間と共に変わりゆく人々や街並みへの漠然とした不安感を悪戦苦闘しつつも乗り越えて最後は等身大の幸せを手に入れる

が概要だ。CLANNADの考察や感想は書かないがこれを頭に置いて今回の事件を考えて見てほしい。

こんな素敵な作品をアニメ化した会社が燃えてしまった、作画をしていたであろう人も亡くなったかもしれない、燃え方からして作品の元データや当時の資料だって燃えたかもしれない。

 

なんて事を犯人はしてくれたんだと言う思いも大きいが、それと同時にこの作品の美しさや感動、人を動かす力みたいな儚いけど綺麗な力と、こんな事をする人がいる現実の巨大な力、犯人だって当たり前だが元々は将来放火を起こすだろうとは思っておらず、もしかしたら朋也みたいに生活していたり、彼に憧れた大勢の若者のように生活していたのかもしれないと言うやるせなさとごちゃ混ぜになり頭が混乱する。

 

火事なんて起きてほしくなかった、怪我だってしたくなかった、犯人すら昔は将来犯罪者になるとは思ってないし楽しくアニメを見ていたかもしれない。この漠然とした不条理に大して「これは何なんだ!何故こうなるんだ!この世界って何なんだ!」は、この事件に限らず大きな衝撃を受けた時に人はこの問いを始めてしまう。

皮肉な事に、これがまさに朋也及びほとんどの人が思春期の頃に向き合った悩みでもあり、理屈では答えられない問いが、理屈では無い火によるエネルギーとして今回はこのような形で表れてしまった。

国とか法律とかそういう物抜きで個々の目の前に出てくる「この不条理な世界は何なのか?」の問いは人生で定期的に表れて引っ掻き回してきますが、これに対する答えを僕はこの年になっても中島敦の「狼疾記」の三造のように逃げに回り1度も用意出来ませんでしたが、皆さんは思春期に一度は用意できたのでしょうか。今回の事件でそれに揺さぶりは起きなかったでしょうか。将来トルストイの「懺悔」に告白されてるようにこの問いに飲まれてしまう不安は無いでしょうか。

 我々人間は人間獣である為に動物的に死を怖れてゐる。所謂いはゆる生活力と云ふものは実は動物力の異名に過ぎない。僕も亦人間獣の一匹である。しかし食色にもいた所を見ると、次第に動物力を失つてゐるであらう。僕の今住んでゐるのは氷のやうにみ渡つた、病的な神経の世界である。僕はゆうべ或売笑婦と一しよに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ「生きる為に生きてゐる」我々人間の哀れさを感じた。

青空文庫 或旧友へ送る手記 芥川龍之介 より引用