2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

食事とはなんだろう

仕送り額が過去最低と言ったニュースもありましたが大学生は限られた予算内で遊んだり勉強しなければいけないわけです。その予算の中で最も削られやすい物が食費です。しかし、この食事を疎かにした事で心身を壊し余計にお金がかかる事もあるので限られた予算といえど吟味して食品を選択しなければいけません。ですが、そもそも「食事」とは何なのでしょうか?この質問は食品学関係の講義で最初にやる定番の問いかけですが僕はこのように考えています。

心身の状態を保つ為の栄養素を含有し、かつ、急性毒を持たない衛生的な食品を摂取して体内で分解する行為

僕は小学生の時に消しゴムを食べて見た事があるし、別にまずいとは思わなかったのですが栄養も無く分解も出来ないのでアレは食事とは言えません。アルミホイルはどうでしょうか。少しは食べられるでしょうし、もしかしたらアルミも鉄や銅のように微量ミネラルとして役立つのかもしれません。しかし、現在はアルミが何か働いてると言った情報は無いので現段階ではアルミホイルを齧る事は食事ではありません。

世界の地域によっては昆虫や砂を食べる人たちがいますが「彼らにとっては」食事と言えます。これは昆虫は栄養豊富だし、砂も微量ミネラルを摂取できるので定義に当てはまり、彼らはこれを食品として認識しているので「心身」の「心」には何ら悪影響が無いからです。

しかし、日本のほとんどの方は昆虫や砂を食べろと言われても食品として認識出来ないので嫌がるでしょう。その為「心」に悪影響があるので食事にはならないのです。僕は昔タンポポを食べて見た事があるのですがこの話をすると引かれました。この場合も、僕にとってタンポポを食べる事は食事でしたが、彼にとっては食事とは思えなかったのでしょう(ちなみに普通に流通していれば買いたい位非常に美味しかったです。)

定義後半の急性毒を持たないとは何でしょうか。下に正式な定義を引用します。

化学物質の1回の投与(ばく露)又は短期間(24時間以内)の複数回投与によって短期間(一般的には14日以内)に生じる毒性のこと。

内閣府 食品安全委員会 用語集のホームページより引用

でも、この14日間が急性に当たるのは正直ピンと来ません。定義を決めてガイドラインを作ったり診断の際に必要なので定まった数字を記載する必要があるのは分かりますが、時間感覚は老人にとっての14日と小学生にとっての14日は全然違います。僅か10分のトイレ休みでサッカーをする小学生にとっては1分1秒に密度があるので14日は膨大な時間です。もし腐った物を食べて14日後に体調が悪くなり、あの時の食事が原因だよと言われたらそんな大昔の事が今になって…?と思う事でしょう。

この場合の急性は日常の意味での急性では無く、コンピューターでアセンブリ言語を低級言語、C言語高級言語と低級・高級が日常と違った意味合いで使われるように専門的な使い方なのは分かります。だからこれが、14日だろうと30日だろうと逆に3時間だろうと急性の定義付けとしては問題ありません。短期間(一般的には3時間以内)に生じる毒性のことに変えても違和感があるのは「急性」「(時間単位)以内」ここの関係性だと思います。恐らく定義と言った時間の流れから一時外れているものが、時間の中で生きている人間の事について語ってる事でモヤモヤしてるのでしょうが自分でもまだよく分かりません。

そもそも人間はただ淡々と流れている時間に放り込まれた存在なのか、それとも時間は存在しないとか人間がいないと云々みたいな話になりそうなのでここでやめときます。

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引きこもりの感情喪失

僕は1回目の4年生の時に約4ヶ月、2回目の4年生の時は5月から不登校になったので合計すると1年以上は引きこもりとして生活しました。

引きこもりは「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」が厚生労働省が定める定義です。その為、僕も間違いなく引きこもりでした。この定義や有名なニートの「働いたら負けかなと思ってる」のような言葉、ネット掲示板での横暴な振る舞い(そういう方もいるでしょうが僕はネタとして誰かが自作自演したり、引きこもりやニートに対するステレオタイプを植え付けようとしてるように思います。ステレオタイプについてはいつか書きます)だけ見ると毎日ゲームやってお菓子食べる優雅な生活を送ってるように思えますね。しかし、引きこもり当事者のブログや支援団体のホームページを眺めると実際は引きこもりをエンジョイしてる方は少ないと思います。

僕の場合は時計の音が自分を責めてるように感じて電池を外したり、お隣さんが私を馬鹿にしてるように感じてカーテンを閉めていた時期もあります。自分の肉体がある事に更に不思議さが出てきたり、布団や電気ストーブも僕の一部のように思ったり、肉体に凝集していた意識が薄く拡散して部屋一杯に広がってるような気もしました。こんな状態でしたが気分の良い時に散歩は稀に行っていました。そして、これもいつか書く予定ですが心療内科や精神科には通っていませんでした。

これだけ見ると追い詰められた僕が恐怖や焦りにかられて部屋でビクビクする姿を想像するかもしれませんが、実は全くの反対でケロッとしていたのです。この状態を考察していくと「感情と自分の顕在意識の接続が切断されてる」事に気づきました。だから、本当は感情がパニックを起こしたり喜んだり悲しんだりしてるのに、明瞭に意識できる部分である顕在意識はそれを分かっていません。でも、感情の効果は肉体に伝わっているので、外が危険と判断して僕を引きこもらせたり涙を出させたりする指令を出しているのですが、顕在意識はこの流れを分かってないので何故か外に出れない、突然涙が出て来ると言った不可思議な現象が起きるわけです。

引きこもりだけでなく、普通に会社や学校に行けてたのにある日突然ドアノブが握れない、全力で力を込めてる(つもり)のにドアが押せない。そうして訳分からないうちに上司なり親がやってきて心療内科に連れてかれてあなたは鬱病です、適応障害ですと診断される方も同じことが起きているはずです。どちらも外の"何か"が影響して感情がやられたり、感情と顕在意識の接続切断が起きてこうなったのです。この"何か"は、上司と仲悪いとか虐められてる等の1つの原因に帰するとは言い切れません。ここで芥川龍之介の「或旧友へ送る手記」の一部を引用します。

君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。

(青空文庫 芥川龍之介 或旧友へ送る手記 より引用) 

 これは自殺についてですが、引きこもり状態に至るのも複数の要因が重なり発生すると私は考えています。

 

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そもそも何故留年したのか?

直接的には勉強についていけなくなった

僕もそうですが留年するような学生のほとんどはこれでしょう。バイトやサークルに時間を取られていても片手間に授業出て単位を取る生徒はたくさんいます。しかし、留年する学生はそんな器用さも頭の良さも無いので、授業空間が恐ろしくて逃げ出してしまいそれぞれの出来る事(バイト、サークル、ゲーム等)に没頭して気がついたら期末テストが終わっているのです。

私の場合は最初の記事にあるように昔から自分が存在する事の違和感や、この場にいるのは場違いでは?と思う異物感が根底にあり少しずつおかしくなっていきました。この異物感が、「私は何者なのか」「私は何が出来るのか」「死とは何か。なぜ今生きているのか」のような哲学的課題が肉体に具現化した物で、これを消すことがいわゆる思春期の課題であり、人は必ず死ぬと言う理屈だけで考えたら今やってる事が全て無駄になる恐ろしい問題への対処法だと言う事は理解していました。だから、僕は大学では狂ったように遊ぶことで頭だけでは無く、ある段階で思考をストップする事で現実的に物を考えられる普通の人になりたかった。ですが、この企みは失敗し訳の分からない「どうせ人は死ぬのに何故生きるのか?」みたいな面倒な問題が常に頭にあり、同時に不勉強と自分の素の能力の低さの為に片手間で授業や研究室をクリアできない今の状態になりました。そして大学4年の4月時に引きこもり不登校→後期に戻るも1月頃にまた不登校→4月(2回目の4年生)に戻るも5月にまた引きこもり不登校→後期は休学→4月に復学して今の3回目の4年生となったのです。

 

大筋ではこれですが細かいエピソードが大量にあるので後々別の記事で書く予定です。また、この引きこもり体験から、世間では多留学生並に理解されてないであろう「引きこもり」についても書きます。

 

読んでいただきありがとうございます。

自己紹介&始めたきっかけ

休学が終わり遂に3回目の4年生

かつての同級生は既に社会人で1年を過ごすか修士課程2年目、後輩達も3月に卒業してしまった。そんな中で私は3回目の4年生生活がスタートした。社会(仕事や学校生活そのものだけではなく自分以外の他人がいる空間)で上手くやれずに勉強だけで留まれる高校や大学辺りでつまづいてグズグズするだろうなあと中学生の頃から薄々感づいていて実際にその通りになってしまった。

私は非常に臆病なので大学生で留まっている。しかし、自分の何かを社会に還元しなければ生としての価値は無いと思う心もあり双方から引っ張られ疲弊した状態だ。また、自分を罰しなければいけないと言う心もある。そこで、私が持っている特殊な価値「2留した大学生の考えている事」をネットに書き込むことで、少し貴重な情報を社会に提供しつつ、自分の事を語ると言う僕にとって非常に恐ろしくて泣きそうになる自分への罰の両方を行う事になる。

また、ここまで読んでくださった方は感じるでしょうが、僕の文章は非常に読みにくいでしょう。と言うのも、自分の中に渦巻く"何か"はそのまま外部に表現出来ないので言葉という道具を使うわけです。この道具はそのままの"何か"を表現できずかなりの量の情報をそぎ落とす事で使うことが可能になる上に、接続詞や句読点の整合性等を考えると指向性を新たに加える事になりそのままの"何か"を表現出来ないのではないか?と思っているからです。その為、基本的に僕の文章はPCに打ち込む時に概要は思い浮かべても文の構成はそこまで考えていません。意識では無く無意識に書く言葉は情報そぎ落としが最低限になるだろうと思っている為です。

 

色々書きましたが、上記のようなしみったれた事だけでなく、仮にも大学生なので同じ大学生への留年への警告や面白い大学生活の方法などを書いて行ければ良いと思います。

 

読んでいただきありがとうございます。