2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

無欲は必ずしも良い事じゃない

「無欲」と聞くと「つまらない奴」と思う人もいるでしょうが明らかなマイナス評価をする人はいないでしょう。最近は賃金の上昇が税金の上昇や物価の上昇に追い付かずお金が無いせいか国民全体の消費が低迷している事だし、「きっちり節制できる堅実な人」と言う評価が多いかもしれません

(僕が1年生の時とそこから約5年経った今ではビックリするくらい食品の値段上がってますね。鶏むねコーナーが広くなって牛肉がいつも余ってます)

 

基本的には僕も上記のような考えには賛成ですが、高度なメタ認知を身に着けて修行の末に悟りを目指すぜ!とかでなければ行き過ぎた無欲は害悪でしかないと思ってます。

 

そもそも欲ってなんだ?

大体誰もが同じようになると思いますが「 理性の範囲外にあって中から外に働きかける衝動」みたいな物と僕は定義しています。

何日もご飯を抜いた時のソワソワやモヤモヤの混じった不思議な感覚は紛れもなく中から外に出る衝動でありこれは食欲です。それとは違い何となく毎日ポテチを食べるとかは食欲では無く習慣に基づくものなので少し違います。

理性の範囲外にあっても例えば幽霊を見た時にゾッと来る感覚は恐怖であり欲ではありません。よく見たら枯れたススキだと言う事に気づいて「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とか俳文を作り出すのは理性の範囲です。

 

中と外ってなんだ?

"中から外に働きかける衝動"とか書きましたが「中」と「外」ってどの範囲を指しているのか。

中:グチャグチャなエネルギーの集合であり、たまに感情とか欲などの形となり、そのまま留まるか内部で動くか外に動くかの法則を持っている。一言で言えば"魂"です

外:"中"以外の全て。自分の肉体も机もビルも全部"外"です。

※魂とか言いだしてオカルト野郎だと思うでしょうが、自然発火現象を必ずしもエネルギーが閾値を超えて云々と言わなくても火の精霊がそこでクシャミをしたとかでも理由になるように、概念が広く共有されているし非常に使いやすい言葉なので選びました。ここら辺の話を詳しく知りたい方はレヴィ・ストロースの著作を是非読んでみてください。

 

引きこもりと行き過ぎた無欲

 中から外に働きかける衝動を欲とするなら、行き過ぎた無欲とはこの衝動が全然無い事です。そして、このブログのタイトルや引きこもりについて延々と記事を書いてる事から言いたい事は予想はつくでしょうが、一部の引きこもりは行き過ぎた無欲により良い悪い関係なく中から外へと働きかける衝動が失われてしまっているのです。衝動も無いのに学校行ったり働きに出れるわけがありません。

"外"は自分の肉体も含むと上に書きました。僕がそうでしたが自分は自分であると言う感覚の喪失や肉体そのものへの違和感、食欲や性欲も無く、かと言って非常に気分が辛いわけでも無いし、虚無感とも表現できません。凄く例えが難しいのですが、昔、瞑想をよくしていた時期に1回だけ僅かでしたが、時間と自分の存在の消失のような状態に入れました。この時の状態を薄めて持続状態にしたような感じです。

こんな状態なので身だしなみをよくしよう(清潔欲?)とか自分を能力ある存在にしよう(向上心?)みたいな欲なんか欠片も出てこないわけです。食欲や性欲みたいな強力な欲すら薄れてるのに、これらよりずっと弱い欲が出てくるわけありません。漂白剤に付けたらドブみたいな色の水が出る黄ばんだTシャツと布団シーツに横たわり、本やゲームを起動するも5分でギブアップしてそこらに投げて無理やり寝るような毎日でした。

長期間の引きこもりの餓死や親が亡くなったのに警察に連絡できず逮捕みたいな報道がたまにありますが、僕は上記の自分の経験から少しだけですが心境が分かるような気がします。

 

このように何の訓練も無く入ってしまった行き過ぎた無欲状態とは悟りに類似して全然違う魔境のようにろくでもない物です。俺は無欲だ、あれは我慢しよう、本当に必要だろうか、いらないな、みたいに無欲方向に意識を持って行くと、引きこもりまでは行かなくても、「あの人はつまらないどころか無すぎて人間味が無い」とか言われかねませんよ。