2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

凡人が考え付く事は賢い人が既にやっていると言う定説を実証する凡人の僕

(最近のアニメやラノベのタイトルみたい…)

 

「手垢のついた話」まではいかないけど「触られてベトベトしてる話」

ネットや自己啓発本やそこらのビジネス書にあるような話は、基本的に既に力のある存在が自らを縛っている慣習や法律を破壊してより力を広げたいが為に「ある一説」→「常識」→「真理」としたいが為に意図的に広めてる考えとしか思えない。

大体は「個人主義自由主義、グローバル社会」とやらを礼賛する言説なので、これの行き着く先は争いと巨大企業による世界征服だ。資本主義にこれらを混ぜれば化学反応で更に人同士の争いは厳しくなるし、既に個人商店が潰れて大企業によるスーパーマーケットでしか買い物が出来なくなっている地域は実質的に兵糧攻めにより企業の支配下にはいってるような物だ。

こんな世界で笑って過ごせる人間は僅かしかいないのに、虎の威を借る狐どころか自分を虎だと思い込んでいる狐が多いので、この狐により「世論」とやらが形成されて虎にとって都合の良い狩場がどんどん開拓される。僕は相当な悲観主義だと思いますが逆に皆さんは楽観主義過ぎだと思います。

 

ryunen-daigakusei.hatenablog.jp

 (悲観主義は反出生に行きつきやすいですが所詮ほぼ不可能な想像の話でしかありません。それでも子供を産む人は一度は真面目に考えるべきだと思います。)

 

必死に振り絞った考えを既に賢い人がやっていた-その1-

上に書いたような事を常に考えているので、頭は疲れるし、うんざりします。でも、考えていないともっと嫌な感覚になるので本当にアホみたいです。どうせなら独自の考えを打ち立ててその成果に一瞬でも満足したいところです。

ある時、"一度特定の力がある人や集団によってヘゲモニー装置が完成するとこれを覆すのは当然難しい"と考えていたら「英語が公用語なのは英語ネイティブ(主にイギリス、アメリカ)によるヘゲモニーでは?」と電撃のように閃き試しに(英語はヘゲモニーである)と検索しました。

そうするとほぼ同じことが書かれていたブログがあったのです。面識はないのでリンクは貼りませんが上記のワードで検索したら出てくると思います。その人のブログは、是非この本を読んで貰いたいなと思ったら数週間後にはその本の書評が書かれているような事もあるくらい好む分野が似ているので周辺知識を広げるのに大変役に立っています。

 

必死に振り絞った考えを既に賢い人がやっていた-その2-

最近では「マルキドサドのソドムの百二十日は、善悪は単純な天秤のように左右にあるものでは無くて円環になっている事を示している」と思ったので検索してみるとアマゾンレビューで既に似たような事が書かれていました。

そもそも、ソドムの百二十日はとんでもない残虐描写だらけなので真面目にエロスとタナトスが~とか書いても、公序良俗に反するので消してくださいみたいに言われる可能性もあるし、ブログでは説明できないかもしれませんが…

これに付け加えるなら、この円環と仏教における車輪(八正道)の関連性を述べる事なら出来そうですが、今度は仏教知識が不足しているので一言二言で終わってしまいます。

 

とにかくソドムの百二十日は初めて読んだ時は殴られたかのような強い衝撃を受けたし序盤に主人公?達が神がいるなら我々をそのように作られたのだろうから問題無いだろうと言ったところは感動しました。図書館で借りて読んだのですが、いつか引きこもり・ニート状態から脱却して賃金労働に参加したら早期に買いたい本リストに入ってます。

結局何が言いたいのか

久しぶりの怪文書になりましたが、要はタイトル通り凡人の思いつくことなどとっくの昔に誰かがやっている事にがっかりしたと言う事です。年を取るごとに、本を読むごとに自分がいかに無知で愚かなのかが身に染みて分かるし必死に考えた事も既に誰かが考えている。自分の言葉で云々とか、過程が云々とかの言葉は虚しいだけです。

経験を積んで等身大の自分が~みたいな話も上記のようなプロパガンダではないか?

心理学は個人に責任を押し付けようと解釈をする学問ではないか?

引きこもりは病気なのか?状態なのか?常識から来る圧力が原因ではないか?

僕はただの中二病ではないか?中二病も思想を封印し人間の家畜化の為の言葉ではないか?

神、実存、構造、社会、コミュニティ等訳分からない言葉の羅列も僕の卑小な頭だと理解するのに時間かかるからこんな事になっている。

神がいなくなった!で右往左往していた数世紀前の考えで僕は止まっていて、自分を神とするしかないと思っているのでしょう(エトナ山に飛び込んだエンペドクレスは神になれたのでしょうかね)。神かそれの代替を見つける登山ルートは危険コースなの分かってるけど、大昔に建てられた案内板が立派過ぎるのでここに惹かれたのでしょう。システムの中での死と再生に拘る限りは道が開けないのは分かっているのだけど、そんなシステムからの脱却は"強さ"が必要です。

パンと水で満足するエピクロスみたいな生き方が現在ではふさわしいのかも。