2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

形而上学に囚われたふりをしたりニヒリストを気取って何もしない人

僕の事ですね

と言っても僕は留年生なのでいかにもな感じがしますが、どこかの会社に勤める事は出来ていても漠然と"存在そのものへの不安を抱えているふり"をしている人は1人,2人ではなく数%はいると思います。僕の今までの記事を見れば分かりますがこの手の人は10代でとっくに解決するべき実存の問題を解消しきれないままにズルズルと引きずってしまい、丸っきり自分が無く空っぽで生活しているか、言葉によって解決しようと哲学書に手を出して自分の何も無さに向き合うまでの時間稼ぎをしつつ自己正当化しようと試みたりします。

正直な所これは図星中の図星なのでこのように文章化すると僕の矮小な心がますます捻くれる(これもふり)のですが、僕に限らず悟った風な口を利く人が特にネット上では増えてるような気がするので書いておきました。人は素ではそこらの動物と同じで野生状態なので、これを克服し、自らの選択によって生じた出来事や人や物との接触により初めて理屈では突破不能の実存の課題をクリアして、僕の勝手なイメージですが肉体が先にこの世に存在する所に魂が注入されて心身が一致して生き生きとするのです。この魂の注入作業が無いのが僕のような形而上学に囚われたふりをしているどうしようもない人間で、ゾンビのように肉体だけが勝手に動いていて虚無感の中に生活する羽目になります。

ショーペンハウアーとか特にシオランなんて少し前までは全然聞かない存在だったのに、掲示板を見てると名前を見る機会が増えているし、反出生主義(にかこつけて自分の人生の失敗を子供を産む人を叩く事で解消する)が妙に広がっている。

そもそもの自分という物の始まりは母親と父親という存在同士の関係性であるわけだし、自分は自分の内に籠らないで外部の人との触れ合いをしている間だけ人間になれる。「1人で何が悪いの?」みたいな風潮もありますが末路は上に書いたような人間になるか、孤立した個人に耐えられず強い存在(国そのもの、宗教指導者、DV男等)にハマる事もあります。

 

中島敦の狼疾記はまんまこういう人間の話です。人によっては気分が悪くなる(ふり)かもしれませんがリンクを貼っておきます。

www.aozora.gr.jp