2留大学生(元)の考えている事

1浪・1留はたくさんいても2留以上は滅多にいない。珍しいこの存在がどんな事を考えているのか。

事務次官の息子、予防殺人、T4作戦、人権放棄について

ここ1週間の引きこもりが人を殺す、引きこもりが親に殺されるで自分は凄く動揺している。1日中これが頭をぐるぐるしていて押しつぶされそうな感覚になる。色々言いたい事はあるが1つは「1人で死ぬべき」は何も意味が無いと言う事だ。概要は以下のリンクを読んでください。

news.yahoo.co.jp

「1人で死ぬべき」と言おうが、「こんな奴に義理をかける必要は無い」と言おうがとにかく煽り言葉に対しては「は?」(包丁グサ)の返答が帰って来るだけなのでマイナスにしかならない。包丁で暴れられることの防止が重要であって、クズだろうが甘えだろうがそんなの関係なくて落ち着いて貰う事が最優先となるので心では何か思う事があっても手を差し伸べるのが最適解だ。

もう1つは人権軽視とナチス化がここまで進んだのかと言う事だ。事務次官の息子の殺人事件でテレビもネットも「息子は引きこもりでいつか事件を起こしそうだったので親による予防殺人は仕方が無かった」という世論がかなりを占めてるように見える。
事件を起こしそうだから殺したとかそんなの何でもありではないか。○○国は危険だから先制攻撃しても仕方が無いと言う帝国主義も真っ青な侵略思想にも繋がりかねない。そもそも社会に貢献しない劣った存在は処分しても良いみたいな思想はナチスが行ったT4作戦と同じである。
社会に貢献と言う面で見ればブラック企業に属していて違法行為で金銭を稼いだり、詐欺まがいの営業で働いている人こそ社会にダメージを与えている存在なのだが、労働さえしていればそれが全てを許す風潮だから何も言われない。これは"仕事だから"でホロコーストに関わっていた名も知れぬ多くのドイツ人、及びアドルフ・アイヒマンと同じである。ナチスは国民の支持で成り立っていたしハンナ・アレントが分析した通りアイヒマンのような「普通の人」があれほど恐ろしい事をした。日本の世論が予防殺人の肯定をする事はこれと同じで「普通の人」が「普通でない人の」予防殺人をしても良い地獄のような国になる。


そもそもこの事件で容疑者である父親の動機を容認する事は「誰にでも人権ある」→「条件付きの人権」への移行を支持する事に果たして気づいているのだろうか?
ニートだの引きこもりだのの属性はどうでもいい事であって

人権の対象:すべて

これが

人権の対象:(条件付き):ニート以外

こう言った(条件付き)と言う前例を作る事が最もマズい事。俺はニートじゃないから関係ないとかでは無くて(条件付き)を支持する事がダメである。1度ついてしまった以上は(条件付き):身長170cm以上、(条件付き):納税額100万円以上、(条件付き):無職期間1年未満、等後から何でも代入できるようになると最終的には人権は効果を失ってしまう。こうなるとニートだけでなくこれを支持している自分自身にまで被害が出る事になる。極論のように思えるでしょうが、職場で気づいたら居場所が無くなっていたみたいな話があるように、最初は分からない所からスタートして外堀を埋めていくのはよくある事です。先述したT4作戦も「生きるに値しない命」の対象はどんどん拡大して優生思想に基づく対象者だけでなく、もはや難癖のような事でも引っ張られています。