あゝ2020年
言葉が時間とか死を作ってるんだから僕は言葉が嫌いなんですよ
たぶんこれだって似たような事を言ってる学者さんとかいるでしょうけども
蜘蛛を観察してるとベッドの上にいる、窓枠の所にいる、棚の所にいるの3パターンなのですがベッド→棚に蜘蛛が移動した時に時間は正の方向に進んだのでしょうか、更にはここから棚→ベッドや棚→窓のように未来はあるのでしょうか
確かセネカだったと思いますが(エピクロスだったかも、いやどっちもかも)「未来はまだ来ていないのにそれが目の前にあるかのようにビビるのはおかしい」的な事を言ってました
これと蜘蛛を合わせると過去と現在はあるけども未来は無いような気がしてきます。蜘蛛がベッドの上にいるか窓の所にいるかは考えてもそこで「蜘蛛は3時間ベッドにいてその後は窓に移動した。この後も移動するだろう」みたいな話は何か変な気がする
「蜘蛛がベッドにいた。窓にいた」を繰り返すだけですよ
時間的な整合性を求めすぎるとどうせ最後は死んでしまうみたいな話になるし、昔話とか神話の時間感覚が滅茶苦茶なのは未来が無いからですね
神が不死なのは時間を考えないから死なないのでは?
来年やる事
・このブログでは無いけど色々書き物をしてるのでそれを週一で
・それで月3000円は稼ぐ
・人文学の勉強は暗くなるだけなのでしない(そもそも独学が難しすぎる)
・どうせするなら高校数学の方が100倍良い
・就職…どうしよう。せめて単発バイトとかまた短期のバイトでも良いからやらないと